2003.11.27(Thu)


祭りじゃ祭りじゃ(笑


J1 2ndステージ 第14節
ロビー 5−1 パルちゃん
〔得点者〕
ロビー:アキ×2、初ゴルおめ斎藤竜、バロン、徳重


問うていわく「セレッソ大阪にとって、攻撃とは?」久藤清一答えていわく「セレッソ大阪(そのもの)です」また原信生答えていわく「祭りです」(以上、数ヶ月前のVダッシュより)

この問答の通りの試合を、ホーム最終節で見せてくれました。

こういうゲームを試合展開に合わせて書いていくとおっそろしく長くなるのでやめておきますが、ひとつ疑問。エスパさん、最終ラインとかボランチあたりでボールを奪うとサイドのスペースに向かってグラウンダーの速いパスを出していたのですが、あれは最初からそういう作戦でいこう、という計画だったのでしょうか?というのは、この日はご存知の通り大雨、芝もボールも濡れて滑るので、グラウンダーで長いパスを出すと確実に速くなるんよね。しかも当然そのボールを追う方は雨と重馬場の分、足が遅くなる。てことで、前半はパスミスというより「追いつかない」場面が多々あったような気がするのですよ。一方、ウチの連中は、最初からだったか途中からだったかは覚えていないのですが(苦笑)「長いパスやクロスを出す時は上にあげる」ようにしていたように思う。この辺の、天候への対応の違いって、実はすげー大きかったんじゃないかな、とか。

ただ、試合結果自体を左右したのは、やはり選手間の意識の違いじゃないかな。セレッソは、今年は残留はできたとはいえ、特にホームで不甲斐ない試合をすることが多かった。にも関わらず、ホーム最終節のこの試合には、あの天候の中、しかもいまやドル箱スター(笑)のヨシトがいないにも関わらず、15,000人超えの(ウチにしては)大観衆。これでショボイ試合なんかしたらあまりにも失礼。何より、最後に「いかにもセレッソらしい」サッカーをしたい、という思いが一番強かったのが、当の選手たちだったのではないか、と思う。無失点では終われないところまで含めて「セレッソらしかった」あたりは、もはや笑うしかないところですが(苦笑 対するエスパは・・・なんというか、今シーズンも終わろうとしている今もなお「自分たちらしいサッカー」というものへの迷いがあったんじゃないか、とお見受けしたのですが、いかがか。
似たような順位(年間で)、前節2人退場、怪我人続出と、条件の近いチーム同士の試合だっただけに、そこら辺の迷いのあるなしは影響でかいわな。

5得点の中で私が一番好きなのは、実は3点目。前述したとおりの天候、ピッチ、ボール、そういった条件を計算に入れて、地面すれすれのところを狙った中井。その目論見が見事に当たり、GK真田のファンブル、そこを狙っていたバロンの押し込み。偶然性の強いゴールに見えて、実は全てが必然だった、というあたり、非常に好きです。
あと、アキの2点目のアシストがPA手前でクロスを上げた喜多だった(つまり喜多がそんなとこまで上がってた)ことと、ゴール後のアキがくるくる回っていた(笑)こともインパクトあったな。

1失点についてはいたしかたなし、と私は思ってます。だって、あんなのについてけるほど足の速い選手おらんもん、ウチには(笑 なんですかありゃ。
ちょうど交代の酒本がスタンバイしてて、誰と代わるんかなーと思って見てたその視界を、一瞬にして駆け抜けてって、気が付いたらキタジがシュート打ってました・・・。全盛期の岡野が帰ってきたかと思った(笑 太田っていうのか。覚えとこ。

ちなみに、この試合を終えてセレッソの年間順位は10位、総得点数は51。これ自体がけっこう驚異的ではあるのですが(現時点で50得点を超えているのは横浜・磐田・市原の上位3チームと6位の浦和のみ)このうち10得点、実に5分の1をエスパから稼がせていただきました。いやーありがたや。


個人的には2000年頃の髪型の方が似合ってると思うわけだが。


ところで、「アキの新しい応援歌できたんやね」という声をちらほらと小耳に。・・・そっか、今となっては2000年を知らないセレサポさんも多いのか(;´Д`)
「あの歌」というのは「アキが大阪にいる限り」という、アレですアレ。2000年のラストゲームで(負けたけど)いよいよ海外に旅立つアキのために、みんなで合唱したもんです。
元をたどればFC東京のアマラオのテーマじゃないか、という話はこの際脇に置いといて(笑

ついでに言うと、セレッソ的には「ヨシトのテーマ」として定着した「君の瞳に恋してる」あれも99年は黄善浩(ファン・ソンホン)の応援歌でした。♪ファ・ン・セ ファン・ソンホン ラララララーラー ラララ ファン・ソンホン。(「ファンセ」とはハングルで「鳳凰」のこと)

まぁ、私だってマニッチ以前のセレッソについてはあまり記憶にないですし(いや、もっと前のセレッソも何試合かは見てるはずなのだが、よくも悪くもマニッチが強烈過ぎて、それ以前の記憶がほとんどない(笑 )中には「モリシ?あんなひよっ子がなんぼのもんじゃい、ヤンマーの8番と言えばネルソン吉村や!」という方もいらっしゃるでしょう。チームの歴史というものはこうして積み重なっていくのか・・・と思うと、なんか感慨深いものがあります。


自分勝手なプレー、イクナイ!


J1 2ndステージ 第13節
ジェフ市原 0−1 セレッソ大阪
〔得点者〕
市原:チェ(PK)


勝ち試合ばっか取り上げて負け試合を取り上げないのは卑怯だと思うので、今さらですがこちらも。
とはいえ、試合見てないので、詳しいことは何もわからないのですが(負けてむかつくから見なかったのではなく、先週はマジで忙しかったんよ。まぁ勝ってたらビデオ録ってでも見てるだろうけど(笑 )守備陣めちゃめちゃ頑張ってて、試合後あいさつに来た時は拍手喝采だったって?さもあらん。審判ひどかったって?まぁ、2人退場の時点でおおよそ想像はつくけど(苦笑 この試合に限らず、審判というかジャッジの問題についてはいろいろと思うところがあるんで、リーグ戦が終わって天皇杯が始まるまでのブランクにでも、穴埋めのつもりで(笑)ちょっと書くかもしれないし、やっぱりめんどくさいから書かないかもしれない(どっちやねん(笑 )
ただ、ヨシトの件だけは言い訳できんね。プレーでの退場は審判の解釈の問題が残るけど、言っちゃいけないひとことを言ったわけだから、退場になって当然。

ヨシトには、とにかく反省してもらいたい。もちろん「悔しい」とは思ってるだろうけど、チームメイトに対して「申し訳ない」という気持ちを持ってもらいたいんよ。自分がチームに対して多大な迷惑をかけたということを、深く深く心に刻むべし。
「反省だけならサルでもできる」のだぞ。(村崎次郎くんに合掌)


まるっきりの私事ですが。


この数ヶ月、意味のあるんだかないんだかよくわからない、軽い罪悪感のようなものをちょっと感じてたりしたのですが、この週末に少しだけ軽減されました。別にそんな懺悔するような話とちゃうやん、と言われそうですが、元来が隠しごとに向かない性質なものでね(笑
そんなわけで、日曜日に一緒に遊んでくださった方々、これからもどうぞよろしくお願いいたします。(マジで当事者以外まったくわからん話やな、これ(笑 )


2003.11.11(Tue)


これは事件だ。


や、やまかんさん!大変です!
「あの」大久保嘉人が、8日の大分戦ではカードをもらいませんでしたよ!!
それどころか、何度こかされても突き飛ばされても削られても文句ひとつ言わず、黙々と守備に攻撃に走り回っていました!!
どうりで日曜は雨だったわけだ(爆


天までとどけ。


J1 2ndステージ 第12節
セレッソ大阪 2−0 大分トリニータ
〔得点者〕
セレッソ:アキ、ヨシト


冗談はさておき。
セレッソにとってこの試合がどういう意味を持つかなんて、もはや説明の必要はないでしょう。優勝も降格もない、普通に考えればモチベーションの保ちがたい状況ですが、この日のセレッソだけは絶対に何があってもどんなことをしても勝たねばならなかった。
そのミッションを、ほとんど完璧といってもよい形で成し遂げた選手らに、まずは拍手。信じがたいような奇跡の逆転勝ち、とかの方が、あるいはマスコミ的にはドラマティックに煽れてよかったのかもしれんが、当事者としては最高の勝利をこそ捧げたいわけで、その願いを叶えてくれてありがとう、と言いたい。

もちろん、所詮は下位チーム(苦笑 つっこみどころがないわけではないんだけど、ミスをしてもその本人が全力で取り返す、ひとりで無理ならみんなでリカバーする。その「みんな」のひとりとしてヨシトが奮闘していたことが衝撃だったわけですが(笑 それだけ、ヨシトにとってもネルソンさんの存在って大きかったんだろうなぁ。
とにかく、そういう意味での意志の疎通が、この試合に関してはめちゃめちゃ高いレベルでとれていたと思う。これほどの気迫で向かって来られたら、いくら残留争いでモチベーションが高いといっても、跳ね返すほどの力は今の大分にはないわな(あれば残留争いなぞせんですんだろう)。

その「勝つ意志」の象徴的な存在だったのがこの日のアキで、いやはや、マジですさまじかった。こんなアキを見れたのは、一体いつ以来だろうか。たぶん去年のアウェイ福岡戦(1ゴル2アシストだっけ?)の時もすごかったんだろうと思うけど、私は見てないのでね。

とはいえ、後半29分、木島(こいつ、なんでセレッソ戦の時ばっか活躍すんだよぉ(汗 )の打ったシュートが左ポスト→右ポスト→クリアって流れの時は、マジで神、いやネルソンさんがあそこにいると思いました。ああいうのを「奇跡」と言うんだろうな。

それともうひとつ。久藤ちゃん(おめでとう)この試合での活躍っぷり、マジで見惚れましたぜ。これだけやってくれれば、私も胸を張って「キヨカジスタ」を名乗れる(笑 これからもその調子でおながいします。

おっと、忘れちゃいけない、悠介に鶴。まぁ、普通に他の選手とともに選手バスに乗って帰ったぐらいだから、大怪我ではないんだろうけど。


2003.11.1(Sat)


外国人選手第一号でした。


ネルソン吉村氏、死去

火曜日のJスポーツ(横浜戦)見ていろいろコメント書こうと思ってたし事実書きかけてたのだけど、もうどうでもよくなってしまった。そのぐらいショックです。

ネルソンさんの経歴や現役時代のご活躍ぶりは上記リンクをはじめとして各種マスコミにお任せするとして。
私は彼の現役時代なんて見てはいないけど、日本サッカー界に語り尽くせぬほどの功績を残された方だというのはよく知っていたし、1セレサポの立場としては、スタッフという立場でヤンマー〜セレッソに尽力してくれた、その功績に対する感謝だけでも言い尽くせない。モリシの才能を見出して、20歳そこそこでチームの柱に据えたのもこの人。もしこの人がいなければ、今のモリシも今のセレッソもきっとなかっただろう。

去年だったか一昨年だったか、テレビでネルソンさんの特集を少しやっていて、癌だということで心配していたのだが、W杯後のモリシ&アキのトークショーに前座として(!!)登場し、モリシたちの爆笑秘話を次々と披露してくれて「なんだ、元気そうやん」と安心していたのに。
ちょっと前に南津守に行った時、観覧席に張ってある防護用のネットが見づらいとかいうんで、現状の緑色のネットと白いネットのサンプルを持ってサポの前で「どっちの方が見やすい?こっち?やっぱそうやんな。決定、こっちに替えよう!」なんてやってたのが、ネルソンさんを見る最後の機会となってしまった。一度でも勇気を持って話しかけてみるべきだった、と今になってすごくすごく後悔。

こんなふがいない成績の時に亡くなられて、ネルソンさん自身も無念だろうが、選手たちも悔しかろう。彼の愛したセレッソというチームが全てのチームの頂点に立つ姿を見せられなかったこと、悔やんでも悔やみきれなかろう。選手と監督とスタッフとサポと、気持ちがバラバラになってしまっているような気がして非常にもどかしい日々だったけど、今こそひとつになれる、と信じたい。

心よりご冥福をお祈りいたします。


昔のざれごと。
2003年10月
2003年8〜9月
2003年7月
2003年6月
2003年5月
2003年4月
2003年1〜3月
2002年12月
2002年11月
2002年10月
2002年09月
2002年08月
2002年07月